母の日は毎年母に福砂屋のカステラを贈ることにしている。おそらく父の方が福砂屋のカステラが好きなので、父の日に父宛てに送るのが一番喜ばれるのだろうが、父は母に分け与えずに一人で食べきってしまうような気がして、あえて母の日に贈っている。
といった文を書いたところでこの文章は途絶えており、気づけば母の日があった5月から3か月ほど経過していた。無精のせいである。さらっと十数分ほどで書ききってしまえば思い出しながら書くということもしなくていいのに…と思うのだが、どうしても書ききれないのである。
そして私は気づく。私は母の日に妻のためにチキンカレーサラダを作ったのだと。
チキンカレーサラダ
数年ぶりに食べたレタスがとても美味しかったことから、レタスが安い日には欠かさず調達するようになった我が家。記憶ベースのため確かなことは言えないが、おそらく今年の母の日にはそんな理由で冷蔵庫にレタスがあったのだと思う。鶏肉の特売とほぼ同時期に。
だからチキンカレーサラダになったのだと思う。サラダとなぜ分けないか?皿を洗うのが面倒だし、そもそもサラダを食べる習慣は我が家にないのだ。話せば長くなるから割愛するが、一緒に食べて美味しいのだから、それでいいじゃないか。
妻は私の母ではないが、母として息子のために日々頑張ってくれている。そんな妻を労うために、私はカレーを作ったのだろう。おそらく息子にも手伝ってもらったはずだ。きっと彼は「レタス、レタス」と歌いながらレタスをちぎったに違いない。
(左)カレー粉投入前 (右)カレー粉投入後
チキンカレー自体はいつものレシピで作った。今年に入ってから、キノコが変わる(そのとき冷蔵庫にあるキノコで作っている)か、ジャガイモの有無(高い時は買わない)ぐらいで調味料と配合のレシピは変えていない。水分に合わせて目分量でカレー粉を入れているぐらいか。
ただ、母の日なので割と丁寧に作った記憶はある。チキンカレーは火入れ(極弱火)をじっくりかつ肉がぱさぱさにならない時間で入れるのが割と重要だと思っている。これをいつもはざっくりやっているのだが、失敗したくないのでかなりセンシティブにやった。
完成
レタスと水菜を皿に盛り付けてその上に少しかぶせるようにカレーを盛り付ける。そしてオリーブオイルでじっくり焼いたレンコンと、輪切りにしたトマトを盛り付けて完成だ。レンコンの色が悪い?気にしない気にしない、ポリフェノールのせいで味には問題がない。
レンコンを白い色のまま保つには酢水につけておけばいいのだが、ビタミンCなどの栄養素が溶け出してしまうと聞く。結局加熱で失われるのでは?というツッコミはいらぬ。そもそも色を気にしすぎなのである。スーパーで商品を手に取れば着色料ばっかりじゃないか。余計なものを入れて鮮度をアピールするなどまやかし以外の何物でもないのである。本質を追求せよ、本質を。
そして主役の厚切りトマトを載せれば完成である。カレーが主役?カレーは本料理に至ってはドレッシングのようなものである。野菜を食べよう野菜を。
なんだかここまで傲慢ちきみたいな文体になってしまった。もっと謙虚にいきたいのだが、内容と関係のない夏休みの終わりの気分がどうしてもこう書かせてしまうので、赦していただきたい。
なお、息子にもいつもどおりカレー粉抜きのものを提供した。彼もまったく色を気にしないので助かる。れんこんも大好きなので、いただきますをするなり手に取りあっという間になくなってお代わりを求められてしまった。
妻には感謝の言葉と共にこのカレーを提供した。喜んでもらえたことは覚えている。貴方のために私はいつもカレーを作っている。