暦の上では春であったが、すでに夏の到来を野菜売り場が告げていた。春と夏の野菜で彩られた景色にはどこか安心感がある。そんな5月。私はいつものようにカレーを作っていた。
いつものようにカレーを作る日常はいつまで続くのだろう。いつものように私はいつまでカレーを作り続けられるのだろう。そんなことを思いながら、今日もカレーを作っていた。
夏野菜
そんなふうに言葉遊びをしてみたかっただけで、ただ仕事のストレスがたまっているだけで、なにか重大なことが起こりそうな兆しがあるわけではない。ただ、いつものようにカレーを作っているだけなので安心?してもらいたい。
夏野菜といえばナスやトマトが先ず真っ先に思い浮かぶ。ただ、ここ数年夏野菜カレーを作って分かったことは、トマトとナスのピークは重なっていないということだ。トマトは春先から出て夏本番の8月を迎える前に途絶える。ナスは5月下旬ぐらいからぽつぽつと出始めて秋の終わりぐらいまでスポットが当たる。
一人暮らしの時分は野菜の季節なんてよくよく考えたことはなかった。何も考えず、まいばすけっとでトマトとレタスとしめじを買うのが常であった。
誰かと結婚して生活を始める。子どもが生まれる。ライフステージが変わるたびに価値観や物事の解像度がリセットされる。そのわかりやすい例が私にとって「食」だったのだと思う。
春夏野菜カレー
子どもとスーパーに買い物に出かけると、彼は食べたことのない野菜に興味が向くようになった。「ほしい、たべたい」と言われたらとりあえず買ってみることにしている。きぬさや、そら豆、いんげんなんて一人暮らしをしてから買ったことはほとんどない。こういう味だとわかっているから、値段もそれなりにするし、買ってまで食べるほどではないと認識していたからだ。
それがどうだろう。なんて美味しいんだろう。こんなに美味しいものだったのか、私の記憶は一体なんなのだろう。そんな気持ちにさせられた。
ナスやししとう、エリンギはここ数年取り入れている野菜なのでそのおいしさはわかっているが、今年取り入れた野菜と合わせると、また美味しさが引き立つというか、深みが増すというか、言葉に表せないぐらい素晴らしい世界を教えてくれる。こんな世界に連れてきてくれた息子には感謝している。
いんげんはその食感といい、味といい最高である。なにもつけないそのままで美味しいなんてすばらしい。
おわりに
物価は上がり、当然食費も上がる。しかし、こんなおいしいものを食べられて生産者に値上がり分が還元されるなら喜んで支払おう。いつも飲んでる牛乳も値上がりした。大丈夫、美味しいからよい。
私のほとんどの服に穴が開いている?大丈夫、まだ着れる。そんなことより食費に割こう。私の靴下がない?大丈夫、そんなことより食費に割こう。